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経典

経典

曹洞宗の経典

経典とは

仏教は仏が説いた教えを根本とする宗教です。そのため仏教においては釈尊が説いたことばが絶対の権威をもつものであり、この釈尊の説法をまとめたものを経(お経・経典)といいます。

経ということばは、サンスクリット語のスートラの漢訳ですが、スートラは古代インドの宗教であるバラモン教のさまざまな教えや規則を記した聖典類のことを指していました。もともと仏教独自のことばではなく、本来の意味は「線」とか「糸」「紐」のことです。

仏教でも釈尊の教えをまとめたものを、インド古来のスートラという語で呼ぶようになり、中国ではそれを経という字に漢訳しました。

釈尊が亡くなられたのち、その教えは弟子たちによって口から口へと伝承されました。しかし、語り伝える間には記憶の誤りも生じ、しだいに教えの内容も変わることを心配し、弟子たちが集まって釈尊の教えを整理しまとめることになりました。この会議は結集(けつじゅう)と呼ばれます。

この会議においては摩訶迦葉(まかかしょう マハーカッサパ)が中心となり、経は多聞(たもん)第一といわれた記憶力に優れた阿難尊者(あなんそんじゃ)によって語られ、また、律(教団の規則)は持律(じりつ)第一といわれた優波離(うぱーり)が記憶に従って語るのを、大勢の弟子たちが聞いたものと照合し、承認してまとめ上げたのです。

やがて、この経と律を研究した論が多く作られるようになりました。これを総称して「経・律・論」の三蔵と呼んでいます。蔵とは「いれもの」という意味で、経と律と論を収蔵しているものということです。

のちに仏教文献の総量は膨大なものとなったため、「一切経」あるいは「大蔵経」と呼ばれるようになりました。

基本経典

正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)

「正法眼蔵」は、道元禅師が1231年(寛喜3)8月より1253年(建長5)1月に至る23年間にわたって説示されたもので、その題名が示すように、釈尊から歴代の祖師を通じて受け継いだ、正しい教法の眼目を余すところなく収蔵して、提示しようとした書ということができます。

その内容の多くは、道元禅師の深い悟りの境涯を、禅師独特の語法で説示した高度なもので、現代においても日本の生んだ最高の宗教思想書とも評されています。

「正法眼蔵」は一般に95巻と言われていますが、それは道元禅師には最終的に100巻として仕上げる構想があったところから、のちに弟子たちがその意をくんで、1690年(元禄3)に編集したものです。

道元禅師自身には自ら編集された75巻と12巻の新草があり、その他の巻と合わせてあらためて体系的に組織化していく意図がありましたが、思いなかばに示寂してしまい、それを果たすことができなかったといわれています。そのため、「正法眼蔵」はさまざまな形で伝承され、60巻本、28巻本などの諸本も存在しています。

伝光録(でんこうろく)

「伝光録」は瑩山禅師が、1300年(正安2)1月から加賀の大乗寺で、その師徹通義介禅師に代わり修行僧たちに説き示した説法を、のちになって側近の僧がまとめたものです。

瑩山禅師の説法の記録(提唱録)ですから、禅師自身が筆を執って書いたものではありません。

釈尊を源とする坐禅の仏法が、インド・中国・日本の懐弉禅師にいたる53人の祖師たちに、どのように正しく伝えられてきたか、各章ごとにさまざまな僧の伝記を引用しながら、各祖師方の悟道(ごどう)の主題、伝記、悟道の因縁、それらに対する瑩山禅師の解説、修行僧たちに向けての激励の言葉を述べ、結びの詩をもってまとめてあります。

本書は道元禅師の教えをふまえて、曹洞禅の教えを53人の祖師の史実の上に跡付けしようとしたもので、「正法眼蔵」とともに曹洞宗における代表的な宗典として尊重されています。

日用経典

修証義(しゅしょうぎ)

「修証義」はおもに、道元禅師の著された「正法眼蔵」からその分を抜き出して編集されたものです。

明治の中ごろ、各宗派では時代に適応した宗旨の宣揚をしようとする気運が高まっていました。曹洞宗では曹洞芙宗会(そうとうふしゅうかい)が結成され、多くの僧侶や信者の人々がそれに加わりました。

そのメンバーであった大内青巒居士(おおうちせいらんこじ 1845~1918)を中心として「洞上在家修証義」(とうじょうざいけしゅしょうぎ)が刊行されました。これは在家教化のためのすぐれた内容となっていたため、曹洞宗では時の大本山永平寺貫首滝谷琢宗(たきやたくしゅう)禅師と大本山總持寺貫首畔上楳仙(あぜがみばいせん)禅師に内容の検討を依頼し、1890年(明治23)12月1日その名を「曹洞教会修証義」とあらためて公布しました。その後、「修証義」と改名されて今日に至っています。

曹洞宗の宗旨は、釈尊から歴代にわたって正しく受け継がれてきた以心伝心の正伝の仏法、只管打坐(しかんたざ)、即心是仏(そくしんぜぶつ)の心を標榜する教えです。「修証義」は、このような心を日常生活の中でどのように実践し、信仰生活を高めていくかを示しています。

般若心経(はんにゃしんぎょう)

「般若心経」は膨大な「般若経」600巻の精髄をまとめたもので、字数にしてわずか262文字の短い経典ですが、深遠な仏教の思想と広大な慈悲の営みである宗教的実践を簡潔に説いています。この経は、日本のほとんどの宗派で読まれています。

「般若心経」は正式には「摩訶般若波羅密多心経」と呼ばれ、大いなる(摩訶)、智慧(般若)の完成(波羅密多)の真髄を説いた経典です。その内容は「般若経」の中心思想である「空」の思想を簡潔に説いています。

この「空」の概念は、ただ単に「何も無い」、「空っぽである」という意味ではありません。すべてのものには「固定的な実体はない」という哲学的概念を含んでいます。

ですから、経文中の「色即是空 空即是色」とは色(すべての目に見える対象)は空(永遠に変化しないものはない)なのだ。そして、空(変化生成するもの)なるものが色(対象世界)なのだ。という意味なのです。

この経典の異訳は8種類ほどあるとされ、なかでも鳩摩羅什(くまらじゅう)訳の「摩訶般若波羅密大明呪経」(まかはんにゃはらみつだいみょうしゅきょう)と玄奘(げんじょう)訳の「摩訶般若波羅密多心経」がもっともよく知られています。

玄奘訳はのちに読誦用としてもっとも広く用いられるようになり、それが現在、一般に「般若心経」といわれているものです。(sotozen-net)


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